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文学日記

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芥川龍之介「蜜柑」 〜蜜柑と五感〜

 

芥川龍之介「蜜柑」

 

大正8年5月大正『新潮』にて発表

《あらすじ》

退屈な人生に疲労と倦怠を感じている「私」は、汽車が発車するのをぼんやりと待っていた。そこへ発車寸前に、醜い田舎娘が飛び込んでくる。「私」はこの娘を快く思わなかったが車中でのある出来事により、「私」は人生に対する疲労と倦怠を少し忘れることができるようになる。

 

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大人と子ども

「私」

人影のないプラットフォームや、檻に入れられた犬の悲しそうな鳴き声に親近感を覚え、発車の笛に心の寛ぎを感じる人生に疲れた「大人」。冒頭、娘が汽車に飛び込んでくるまでの「私」の描写は本文通り「雪曇り」のようなどんよりとした仄暗い空模様が続きます。

 

「田舎者の娘」

三等の切符にも関わらず「私」がいる二等へ滑り込むように乗り込んできた十三四の「子ども」。重苦しい日暮れの汽車を叩き壊すような日和下駄のカラカラとした音や、「私」1人の汽車に突然現れる子どもを想像すると、静寂の中に一気に喧騒がなだれ込む何とも言えない空気を思い浮かべることができます。

 

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暗と明

この作品において最も素晴らしいとされる色彩描写について。

 

①列車が動き始めた際のプラットフォームの「赤帽」「煤煙」

「私」の心情とは程遠い赤色が、どす黒い煙に飲み込まれていく様を見て、「私」はようやく一息つきます。「黒」にかき消された「赤」は娘という喧騒を表す色と捉えられます。

 

②娘の色

(直接的な色ではないが)銀杏返し「赤み」を帯びた両頬。萌黄色の毛糸の襟巻。そして、さらに三等の赤切符

ちなみに「私」が乗っている二等の切符は「青色」であり「私」と娘は寒色と暖色で完全に対比されています。

 

どんよりとした薄暗い雰囲気を帯びていた作品が、娘の登場により華やかに色付いた印象を受けます。しかし、「私」にとってはそれすらも忌み嫌う原因のひとつでしょう。

 

ここまででも「大人」である「私」と、「子ども」である「娘」の暗と明の対比関係が視覚的にも非常に分かりやすく明らかです。

 

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クライマックスへ向けて

 

席を「私」の隣へ移した娘が、汽車が走る中、さらに頬を赤くさせながら一生懸命に窓の戸を降ろそうとします。

戸は降りたものの案の定、車内には「煤を溶かしたようなどす黒い空気」が立ち込め、作中で「暗」を最も暗示させる表現が登場してしまいますが……

汽車がトンネルを出た途端、先ほどの娘が外にいる3人の男の子に向かって「蜜柑」を投げます。

 

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華やぐ色彩と蜜柑の味

 

最も有名な蜜柑を投げるシーンでは、「暮色」と「蜜柑」という2つの燃えるようなオレンジ色、そして小鳥のように声を挙げた3人の子供たちという聴覚効果も混ざり合い、物語のクライマックスにふさわしい色彩で彩ります。

しかし、ここで鬱陶しく感じていた娘の行き先が「奉公」であり、子供たちはこの娘を見送りに来た弟たちだと「私」は刹那にして感じ取ります。

娘が汽車にギリギリで飛び乗ったのも、もしかすると奉公に行きたくなかったからなのかもしれません。

 

これまでの色彩がもはや薄れるような、最後の怒涛の鮮やかな色合いに情景を思い浮かべてはこちらも目を奪われますが、娘の行き先や弟たちの心情を思うと、鮮やかなオレンジ色がまるで蜜柑の味のようにどこか切なく酸っぱく感じてしまいます。

 

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「蜜柑」と「五感」

 

「蜜柑」では物語を通して視覚だけではない感覚が手に取るように感じられる気がします。

 

・「視覚」

沢山散りばめられている通り、様々な色彩を通して、その場の情景をありありと思い浮かべることができます。最後の場面、「暮色」と「蜜柑」の色の混ざり合いは思わず胸を打たれます。

・「聴覚」

最後の場面、小鳥のように声を挙げた3人の子供たち。まるで一瞬、走る汽車の窓が開いている轟音を忘れるような感覚に陥ります。

・「味覚」

先ほども述べたように、視覚に気を取られがちですが、作品の題名でもある「蜜柑」は味覚にも訴えかけているように感じられます。甘いだけではない少しの切なさも含む結末は、まさしく「蜜柑味」だと感じます。

・「嗅覚」

窓を開けたことによりなだれ込む喉を焼き尽くすようなどす黒い煤の匂い、トンネルを抜けた先の土や枯れ草、水の匂い、そして隣の席から投げ込まれた蜜柑の爽やかな匂い。どれも想像するに容易く、その場にいるかのような錯覚を起こします。

・「触覚」

こちらは窓を開けた際に顔に当たるであろう煤の交じったどす黒く生ぬるい風と、トンネルを抜けた先の冬の町はずれならではのキンと張り詰めたひどく冷たい風が当てはまるのではないでしょうか。

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作品の見どころ

何かと面倒なこの現代社会、「私」と同じように不可解で下等で退屈な日々ばかりだと感じる人の方が圧倒的に多いと思います。そんな中、作品自体を寒色から暖色に見事に塗り替えた娘の、蜜柑のように少し甘くて酸っぱい爽快感を作品を読むことにより感じることができ、また読み終わる頃には何故か口いっぱいに蜜柑の味が広がっているのではないでしょうか。

 

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おまけ

 

《作品について》

この作品は、珍しく作者の実体験に基づいて書かれており、発表当時は「私の出逢つた事」という作品名でした。後に「蜜柑」「沼地」と改題されています。また、芥川は当時横須賀の海軍機関学校の教官として勤務しており、横須賀線列車を通勤に利用していたそうです。

 

《娘の銀杏返し

髻を二分して、根の左右に輪をつくり、毛先を元結いで根に結ぶのが特色。形が銀杏の葉に似ていることからこう呼ばれた。「吾妻余波」に12〜13歳の少女から20歳以上の年増まで結う比較的略式の髪型と記されている。

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《萌黄色》

春先に萌え出る若葉のようなさえた黄緑色。

 

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《切符の色》

1960年〜1969年の二等級制時代では、国鉄では客車の帯の色から一等は「白切符」、二等は「青切符」、三等は「赤切符」と呼ばれていたそう。

 

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芥川龍之介「蜜柑」

 

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